政府が、1万円札、5千円札、千円札のデザインを一新すると発表しました。2024年上期をめどにということなので、もう少し先の話ですが・・・。
新しい肖像
- 1万円札:渋沢栄一
- 5千円札:津田梅子
- 千円札:北里柴三郎
ちなみに忘れ去られた2000円札はそのままです。
ここからがこのブログの小ネタです。3人と近江八幡市の関係をまとめました。
渋沢栄一と近江八幡市
渋沢栄一は、日本の資本主義発展に貢献した人です。
- 江戸時代末期に武蔵国(現在の埼玉県)の富裕な農家に生まれる。
- 一橋慶喜(後の江戸幕府15代将軍・徳川慶喜)に仕える
- 明治維新後、民部省に勤めて貨幣や銀行の制度の調査立案を手がける
- 退官後、第一国立銀行(現みずほ銀行)、王子製紙、東京海上保険(現東京海上日動火災保険)をはじめ約500社の設立に関わる
渋沢栄一賞
埼玉県が、渋沢栄一の功績を称え、優れた企業活動と社会貢献活動を実践する経営者を表彰する目的で2002年度に創設した賞です。2018年度で第17回まで表彰されています。
その中で・・・
- 第1回(2002年度):鈴木稔彦(日吉社長)
- 第5回(2006年度):山本徳次(たねや社長)
と2人も近江八幡関係の会社社長が表彰されています。毎回2~3人の表彰なので、全部で40数人中の2人です。近江商人の「三方よし」の精神が渋沢栄一と重なるのでしょうか。
日吉
日吉は近江八幡市の水郷地帯の近くにある「分析・測定から工業薬品、施設管理、環境保全まで幅広い分野で環境事業をトータルサポート」している会社です。
よく見るのはゴミ収集車です。八幡小学校の4年生がデザインしたパッカー車が走ってます。

たねやグループ
言わずと知れたバームクーヘンに代表される洋菓子の『クラブハリエ』と、和菓子の『たねや』を展開する会社です。『ラ コリーナ近江八幡』は、今や滋賀県一の集客施設になりました。
山本徳次氏は、現グループCEOの山本 昌仁氏、クラブハリエ社長の山本 隆夫氏の父親です。
渋沢栄一本人と近江八幡市の直接的な関係は見つけられず。
津田梅子と近江八幡市
津田梅子は、現津田塾大学創始者で、女性の教育と地位向上に努めた女子専門教育の先駆者です。
- 1864年、津田仙の次女として江戸に生まれる
- 満6歳だった71年、岩倉使節団に同行して渡米し、日本で初の女子留学生となる
- 帰国後、華族女学校の教授などを経て1900年、私塾「女子英学塾」(現・津田塾大学)を創立
一柳満喜子
近江八幡市名誉市民第一号のウィリアム・メレル・ヴォーリズと結婚したのが一柳満喜子さんです。
ヴォーリズさんの陰に隠れてますが、実はこの人凄いんです。この方の兄が結婚したのがNHK朝ドラ「あさが来た」のあさの娘です。

元々華族の方ですが、学生時代の恩師が津田梅子です。津田梅子が卒業した米国ブリン・マー大学に留学し、帰国後には、津田英学塾(現津田塾大学)で教壇に立ってます。
ヴォーリズと結ばれて近江八幡にやってきて当時としては斬新な幼稚園を開設、太平洋戦争で幽閉されるも、戦後に近江八幡に戻ってきて、幼稚園から小・中・高等学校までの「近江兄弟社学園」の園長兼校長となってます。
「あさが来た」と言えば、渋沢栄一(三宅裕司)も出てました。
北里柴三郎と・・・
北里柴三郎は、日本近代医学の父と呼ばれています。
- 1853年、熊本県生まれ
- 熊本医学校(現熊本大学医学部)、東京医学校(現東京大学医学部)などを経て、6年間ドイツへ留学
- 留学中の89年に破傷風菌の純粋培養に成功し、破傷風菌の毒素を弱める「抗毒素(抗体)」を血液中から発見し「血清療法」を切り開く
- 伝染病研究所(現東京大学医科学研究所)を設立する際に、今の1万円札の福沢諭吉の支援を受け、今の千円札の野口英世が一時、ここに勤めた
近江八幡市との繋がりを探しましたが・・・何も出ず。
仕方がないのでどうでもいい余談です。
現在の近江八幡市の北西端、琵琶湖の沿岸、日野川の河口域に『北里村』というのがありました。その名残で、北里小学校とか、北里警察官駐在所とか、北里〇〇という名前の施設が多数あります。
その割に、近江八幡市に『北里』と付く地名は残ってません。
国立印刷局 彦根工場
日本のお札を印刷している国立印刷局は工場が6ヶ所にありますが、その一つが近江八幡市の隣の隣、彦根市にある『国立印刷局 彦根工場』です。
工場見学もできるので、興味があればどーぞ。

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