「寝装寝具の西川3社が統合協議」ということで西川甚五郎邸へ

先日、寝装寝具の西川3社が統合協議というニュースが出ていました。西川3社とは、東京西川として有名な西川産業(東京都)と、大阪を拠点とする西川リビング、京都を拠点とする京都西川の3社です。

何故このニュースを近江八幡市関連ブログで取り上げるのかというと、この3社の歴史を辿ると「1566年に初代西川仁右衛門が近江国(現在の滋賀県)で創業」というように、その創業の地が近江八幡市なのです。

八幡山城の城下町、八幡堀の周辺に広がる近江商人屋敷と旧市街の街並み、この近江商人の土地が西川3社の故郷です。それにしても1566年って約450年前です。江戸時代にすら入っていません。想像もつかないですね。

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ふとんの西川の歴史

ふとんの西川の歴史を見てみましょう。

  • 西川家は八幡山城築城の時に工務監督を務めた旧家
  • 永禄9年(1566年) 初代仁右衛門が19歳で商売(蚊帳の販売)を始めたのが創業
  • 天正15年(1587年) 豊臣秀次の八幡山城築城に合わせ、城下に移住。八幡に蚊帳・畳表などを商う屋号:山形屋を開設
  • 元和元年(1615年) 江戸日本橋に出店
  • 寛永5年(1628年) 初代の4男甚五郎がに2代目を継ぎ、製造や販売方法に工夫を凝らし西川家の基礎を固める
  • 3代目の頃 成績優秀、永年勤続、等の従業員に別家として独立させる仕組みを確立
  • 1750年 京都に京店を開設(後の京都西川)
  • 7代目(西川 利助)の頃(江戸時代の中後期) 年2回の決算期に純益の3分の1を従業員に分配する現在のボーナス制度を取り入れる。商家としての制度改革を行い、山形屋西川家中興の祖と言われる。
  • 11代目(西川 甚五郎)の頃(江戸時代末期から明治期) 明治維新動乱期を越えて現西川産業への発展の基礎を固める。八幡銀行創設のための発起人の一人(八幡銀行は後に彦根市に本店を置く百三十三銀行と対等合併し、滋賀銀行になる)。
  • 1876年 大阪店を開設(現在の「西川リビング」)
  • 1887年 現在の主要事業となる布団の販売を京・大阪の両店で開始
  • 13代目(西川 甚五郎)の頃 アメリカ留学の経験を活かし、社員教育に英語・簿記を取り入れる。参議員議員として池田内閣の国務大臣・北海道開発庁長官を務めるなど活躍。政治経済に活躍したことなどにより、近江八幡の名誉市民第2号に選ばれる(第1号はウィリアム・メレル・ヴォーリズ)。
  • 1941年 大阪に心斎橋店を開設。同年に既存の店舗を法人化し、京店を(株)京都西川、大阪店を(株)大阪西川(現・西川リビング)とする。
  • 1947年 空襲によって1945年に消失した東京日本橋のつまみだな店を再建し(株)西川として法人格化、同店舗内に卸部門として西川産業(株)を設立。心斎橋店を(株)西川(現・心斎橋西川)とする。
  • 現在15代目 西川産業社長 西川八一行氏 元銀行マンが婿養子として西川産業入り。アスリートに支持される「AiR(エアー)」を生み、新たなブランドとして復活させる。

近江八幡を拠点としつつ、早くから東京(江戸)、京都、大阪に進出し、それでいてなお近江八幡市の発展に尽力した壮大な歴史が見て取れます。

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現在の西川甚五郎邸

そんな西川甚五郎邸ですが、八幡堀の近江商人屋敷が立ち並ぶところにあります。

西川甚五郎邸

現在の西川甚五郎邸です。

別角度からもう1枚

西川甚五郎邸

位置的には日牟禮八幡宮に入る大鳥居がある場所の少し西側になります。大通りと八幡堀の間に広大な屋敷が建っています。今のところ非公開です。

西川甚五郎邸

大きな看板が出ているわけではなく、西川甚五郎邸と確認できるのは玄関わきのこの小さなプレートくらいです。八幡堀観光に来て散策している人の大半は、ここが西川産業のゆかりの場所だと気づかずに通り過ぎると思います。

西川甚五郎邸

現在工事中でした。塀とか外壁とかもかなり修復している感じがあるので、今後資料館か何かで公開されることになるかもしれません。

 

ちなみに、その近くで現在公開されている「西川利右衛門邸」は別の流れをくむ西川家です。肉屋さんの「まるたけ近江西川」も西川さんですし、この辺って西川さん多いんです。

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